より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

わかりやすい愛で示して

勝手に死なないこと。
死ぬ前には必ず私の前に帰ってくること。
それだけは約束を

親友にそう言われてはじめて、「そっか、故郷に帰ってもいいんだな」と思った。
上京して8度目の春がわたしを通過していったところだった。


わたしは今まで「帰る場所がない」ということをずっと意識しながら生きてきたみたいなところがあって、それについて強いコンプレックスと悲しみを抱いている。濃淡はあれど、きっとそれは今も変わらない。

上京してから4年ほどのあいだ、当時付き合っていた恋人を故郷に置いて遠距離恋愛をしていたけれど、そのときでさえ「帰りたい」と思うことはほぼほぼなかったように思う。
もちろん彼のことは好きで好きで仕方なかったし、わたしにはこの人しかいないから、あとは覚悟をするしかないと思うくらいには彼に傾倒していたけれど、わたしにとって上京することは人生最後のチャンスみたいなものでもあった。

元恋人から何度も「帰ってきていいんだよ」と言われるたびに「こんな自分にここまで言ってくれるなんて」としみじみ感動もしていたし、就職がなかなか決まらなくて心折れそうなあるときには「一緒に暮らそう。今はまだお給料は少ないけど、しばらくはぼくが養うくらいの気持ちはあるよ」と言われて、すっかり弱気になってしまっていたので『手を伸ばした先に恋人の存在がある生活』という憧れなどに正直、心揺らぎもした。だって、好きな人が近くにいることは安心だし、生きる励みになるから。

それでも自分の人生を開拓していくことのほうが彼や自分自身を生きていく上でなにより重要で、わたしは意地でも「養ってもらうつもりはない」「自分で稼ぎたいから帰らない」と言い張っていたのだった。
そう言い張ることで自ら鼓舞し、なんとか生活を切り盛りできていたのだと思う。その反動でか、彼とケンカするたびに「わたしの還る場所はどこなの」と大泣きしたことも数えきれないほどある。

結局、本当のところは心底欲していたのだ。しかし、欲望は果てしないものなので「別にないのだし仕方ない」と割り切った振りをすることで、自分の甘え腐った感情に蓋をして抑え込もうとしていただけに過ぎない。


今の恋人とケンカしたある日、子供のような癇癪をおこす一歩手前のようなむせび泣きをして「通常の恋人関係でこういう風に泣くなんてことはきっとないんだろうな」と、頭の端にいる冷静で客観的なもうひとりの自分で静かに思っていた。

機能不全家庭で育ったわたしには多分、わたしが独りでに不安に溺れて「やっぱ別れた方がいいのかもしれない」「自信がない」と言いだしても「まあまあ、とりあえず美味しいものでも食べて気分変えようよ」とか、ひたすら源泉かけ流しで「好き好き大好き愛してるかわいい」とほめそやしてくれる相手じゃないとダメなんだと思った。
同時に、なんて酷くめんどくさくてコスパの悪い生き物なのだろう、と自分に失望もした。ただの我儘クソ野郎じゃないか。こんなの、どんな顔して恋人に話せるんだよ。分かってもらえると思っているのだったら正真正銘のバカだ。

遠距離だった元恋人は、絶対と言っていいほど駅まで送ってくれていたし、わたしからの連絡がないと「ちゃんと帰ってる?だいじょうぶ?」といつも気にかけてくれていた。今の恋人にもしてほしい、と言う訳じゃなくとも、ただ、少しさみしく思う。
だって、わかりやすく「好きな気持ち」を形にしてくれないと、警戒心の強いわたしは安心できないし、そういう表現をしてくれることが単純にわたしはうれしい。その差異に気付いてますます「居場所がない」と思ったりもして、もうどうしていいかすっかり分からなくなっていた。

新しい服を買っても髪の毛を切っても嬉しくならない日が続いて、いよいよ自尊心がぺしゃんこだったので困り果ててしまった。
情けなくなりながらやっとの想いで「情けない」ベールを捨てて、故郷にいる親友に「生きてるのしんどい」と連絡したのだった。

自分を卑下しないで
毎度言ってるけどあなたは本当にステキな部分をたくさんもってる
彼のことはよく知らないけど、
彼にあなたはもったいないと心の底から思ってる
わたしがあなたをもらった(物じゃないけど)ほうが
彼よりも確実に幸せにできる自信があるよ(笑)

親友から送られてきた長文の連絡に返事するのに3日かかった。
まるで噛みしめるように何度も読み返しては泣きそうになって(そして泣いた)、すこしずつ自尊心を取り戻そうとしていたのかもしれない。1週間に相当するような3日間の密度には違いなかった。
この人はこんなにも何度も辛抱強く、赤の他人のわたしに愛の言葉を降り注いでくれる。そんな人が1人でもいることは奇跡だというのに、そこに報いれない自分がどうももどかしい。生きていながらも何度も乞い求めてばかりでほんとうに恥ずかしい。


体調の悪化とともに、恋人に対する気持ちがさっぱり晴れることはなくて、大型連休を前に、恋人とふたりで楽しく過ごせる自信がまるでない。
でも、それならば今年のお正月、ふたりで過ごしたあの4日間のことはなんだったんだろうか。なにをしたか詳細をはっきりと思い出せないけど、毎日笑ってばかりで本当に楽しく過ごしたことだけはよく覚えてる。
なぜだなぜだと考えているうちに、あのときはまだ「自己責任」で彼に会えていたからだと思った。彼が送ってくれなくても自分が会いたいから会いに行く、みたいに、全部自分が軸で自分で完結していた。

今はどうだ?と問いただしてみる。答えはNOだ。


今の恋人に対して「なにひとつ当たり前じゃないんだよ」と言いながら、当たり前になっていたのは自分自身だったのかもしれない。
会いに行くことは決して当たり前じゃないけど、受け入れる方にだって意思がある。受け入れてもらえるか怖い、とは思う反面、受け入れてもらうことに当たり前を求めていたんだと思う。

彼に理想を求めてばかりで、なかなか伴わない現状に不満を頂いた結果、そこばかりに焦点を合わせて自分勝手に不安に陥っていた。

これからわたしがするべきことは、自分に軸を戻していくことだけれど、それでも彼にある程度は求めていかないといけない気がしている。
そのバランスが本当に難しくて、考えるだけでもう泣きそうだ。求めることで嫌われたくないとも思うから、毎回勇気をだしているけれど、この勇気が枯渇してしまったら本当にどうしよう。


思えば、そもそも彼と付き合うことはわたしの生活そのものを揺らがすことだった。

もしも今後別れることがあったなら、わたしは好きな人を失うばかりじゃない、大切な友達としての彼自身や彼との共通の友達まるごと失いかねない。それは「還る場所」ひとつとしてのパートナーシップを切実に求めて人生を彷徨うわたしにとって、生活しいては人生そのものを揺らがすことだったのだと、今更になって気付くなんてどうしようもないバカだな。

それでも、わたしは今日も決死の覚悟で恋人に会いに彼の家へと向かう。そして、恋人が言う「おかえり」に、毎度ひどく安心もするのだった。


我儘だと知っているけどわたし賢くないから、どうか出来る限りのわかりやすい愛で示してほしい。それが無理ならいっそ記憶喪失して別人として一生を過ごしたい。