より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

さよなら、この気持ち「平成」に置いていくね

まだわたしのなかでぬかるんでいるような事柄たち、話しているうちにまた雨が降ってきて、足を取られてしまうかもしれないけれど、それでも相変わらず取りとめのないことを書く。

 

もうすぐ元号が変わるね。

ギリギリ平成元年に生まれた私だから、令和元年に入籍とか出産とかしたい人生だったな、と少しミーハーなことを思ったりもした。というのも先日、友人の『平成最後の結婚式』ってやつに行ってきて、考えてしまった。平成にやり残したことってなんだろう、と。

恋人に聞いたら「ないよ」と言っていて、彼の、そういうところ、すごくまぶしくていいなあ、と思った。彼は今、祖母に会いに田舎に帰っていて、明日帰ってくる。

わたしには、結婚や結婚式、帰省すらも、ちっとも『当たり前』にならなくて、さみしい。だから、恋人が話してくれる実家や田舎の話は嬉しいと同時にいつも羨ましい。

結婚式なんて挙げようものなら、壁の高さと厚みにめげてしまうと思う。とてもじゃないけど一人じゃ立ち向かえない。もし仮に、自分の家族を呼べたりなんてしたらきっと信じられなくて号泣してしまうと思う。たぶん、式にならない。
そもそも自分に結婚式はおろか、結婚など遠い夢のようだとも思う。

そういったこと全て、つまるところ「普通の家の子供に、生まれてきたかった」と素直な気持ちで思う。

今の自分がいるのは、間違いなく過去の自分が懸命に繋いできた過去があるからなんだってことはわかってるし、そこに微塵の疑いなどないけれど、それでも、こんな考えなくていいことにいつまでも執着してして、ほとほとうんざりしてしまうよ。

どうにか人生が少しでも良くなるように出来る具体的なことはもう祈ることしかないし、「なんとかなるよ」と自分が自分に信じるしかない。出来るだけ明るい方向性で、絶望的な気持ちすべてに終止符を打ちたい。

さよなら、私が生まれた平成という時代。
平成のあいだに仲直りしたかったよ、お母さん。

 

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