より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

「間に合わなくてごめんね」なんて言わなくていい世界

久しぶりだと何を書いたらいいのか分からないので、ひとまず昨日のことをつらつらと綴ろうと思う。

昨日は半リモートワークの実施およびスタート初日だった。

半リモートワークとは半舷出勤のことで、つまり、午前中は自宅で仕事をして電車が空いているであろう午後から出社するという取り組みなのだけど、今いる会社の代表がフルリモートに対する懸念が強すぎるあまり、(姿勢が悪くなる、モチベーション維持、運動不足などなど)これはいつかくるフルリモートに慣れるために、という「てい」で実施が決定した施策である。
どんだけ信用されてないんだ?とは思わなくもないが、まったくやらないよりはいい、ということにしておこう。私は週に2日ほど実施することになった。

電車は確かに空いていて快適だったけど、空いているのをいいことに、サラリーマンが『女医が教える本当に気持ちがいいセックス』を堂々と読んでいて、これは新手の痴漢かわいせつ行為か?などと考えているうちに最寄り駅についた。
読むなとは言わないが、目の前でAVを視聴されているのと同じような感覚で単純に気持ち悪いのでせめてカバーくらいしろ。あえてそうしているのであれば、彼の恋愛は一生実らないものでありますように。そして孤独で飢えればいいと思う。

出社したらしたで、オフィスには余裕で30人強の人がひしめき合っていて、これはこれでいいのか?と思わずにはいられなかった。「三密」もいいとこだ。とはいえ、正義を正義のまま振りかざすことができない環境で、何が正解不正解かなんて私には分からない。自分の気持ちを落ち着かせるために、ひとまず定期的に社内のチャットツールで「10分ほど換気しましょうか」と、声掛けおばさんをすることにした。

今までの当たり前の風景を常識を信じられない、常識が通用しないという状態に出くわすと、脳がバグを起こしそうになる。「なんでこれをするのか?」ということにいちいち立ち止まって対峙してゆかなくてはならない。アフターコロナ時には自分の価値観や大切なものが一体どれくらい、どう変わるのだろう。

 

そういや、自宅で作業しているときに手配していた再配達の荷物が届いた。
気兼ねなく荷物を受け取れるのはとてもいいな、と意気揚々と開いた中から顔を出したのは楽しみにしていた星野源のオフィシャルイヤーブック『YELLOW MAGAZINE 2019-2020』だ。音楽家星野源の1年間の音楽活動を記録した本で、兼ねてから予約購入していたのだった。

こういった目先の楽しみがあることはとてもいい。源さんがそうラジオで言っていて、深く同意する。彼による「うちで踊ろう」は今や社会現象の中核で、そのノンポリさを逆手に政治利用までされてしまったりするほどだ。実際にはきっと、彼は彼なりの表現で戦っているのだと思う。

5月の初めまで、日比谷野外音楽堂が正式に使用禁止になってしまった影響で、行くはずだった片手程のライブが吹っ飛んだ。
そんなことになるとは予想だにしていないわずか1か月ほど前の私が、「すこし先の未来のために」と申し込んでおいた6月後半開催予定のライブチケットが当たったけれど「本当に開催できるのかな…」という気持ちが先立ってどうにもこうにも素直に喜べずにいる。
不安なのは観客だけじゃない、演者もスタッフ関係者もみんな同じってことは頭では分かってるけど、すこし先の未来でさえも見えない分からない、というのは自分が想像する以上にストレスフルだ。当たったら一緒に行こうね、と誘っていた友達にすら「当たったよ」と軽々しく連絡できないでいる。

 

帰り際、ふと目に入った『閉店のお知らせ』に、一瞬で心がざわついて、「間に合わなくてごめんね」なんて、言いたくない言葉で感情が覆われた。

私ひとりでできることはおそらくそんなにない。それでも「どうかこれが最後になりませんように」という気持ちで、できるだけ好きな本屋さんや古本屋さんで本を買い、好きなレコード屋さんで買えていなかったレコードを注文して、いつか行きたいと思っていたお店の未来のチケット買って、帰りがてら出来るだけ友人や個人経営の飲食店でテイクアウトして、呼びかけには署名で答える。微力だとは思いつつも、それしかできない。でも、全部は賄えない。好きな服屋さん古着屋さんも、映画館も、お菓子屋さんも、行きたいお店も場所もたくさん、たくさんあるよ。お願いです、どうか間に合いますように。

生きていくには楽しみが必要だ。そして、生きることは待ったなしだ。