より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

明日にはすべてが終わるとして

きのこ帝国のアルバム『eureka』を無性に聴きたくなる時は大抵心が荒んでる。

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荒んだ心には多少過激な言葉のほうが落ち着くのは可笑しいのかもしれないけれど、どうしてもそこに救いを求めてしまう。わたしにも荒れ果てた一面はちゃんと存在していて、そのことに何故か少し安心している節はある。行き着く原因は、いつだって自分自身の身勝手な被害妄想だってわかってるけど、止められない。だってそうやって自分を守らないと正気で居られない。

あの人とふたりで写る写真は出来る限りすべて消したはずなのに、変なところで出てくるの心臓に悪いからやめて欲しい。思えばあの人が撮ってくれた私の写真もやさしいことばが綴られた一部の手紙もまだ捨てられない。いつかは捨てるつもりだけど、まだ捨てれそうにない。

恋人に対する気持ちは本物だ。それなのに、もしかしたらこの先一生貰えないかもしれない手紙をどこかで待ち望んでしまっている自分が居てうんざりしてしまった。恋人は手紙を書くような人ではないと知っていながら、受け入れているはずの違いが悲しくてたまらない。理想はやっぱり相手にも同じような気持ちで居て欲しいと思ってしまう。あの人よりもちゃんと大切だと思うからこそ、比べたりなんてしたくないし、そもそも全く違う人達だ。集中していたはずの気持ちも周囲との温度にふれてしまうことで簡単に揺らぐ。好きだからこそ、逃げたくなる。こんな醜い自分を見せられない。すべてを放り出して消えたい。別れたい。あぁ、まったくもって正気じゃなくて笑ってしまう。

明日にはすべてが終わるとして、そしたらこんな煮え切らない気持ちを弄んでいることを後悔したりするのだろうか。自分の感覚を、自分だけの優しい気持ちをどうしたら正しく使うことができるの。

こんなときには単純に彼に甘えたいって思うけれど、どんな言葉を紡いで甘えればいいのかわからない。一応、わたしなりの方法で甘えているけど一向に言葉が届く様子は見られない。どんな言葉なら、「甘え」だと人は認識するのだろう。今までだってそれなりに努力してきたけれど、これからもこんなのが続くと思うとほとほと弱ってしまいそうになる。

いつかの誰かに言われたように「甘え方が可愛くない」なんて言われたとしたらそれこそ耐えられないし、「助けて」っていうには大げさすぎる。「大丈夫?」って聞かれると「大丈夫」って答えてしまうから、大丈夫?って聞かないで。そばにいてよ声を聞かせてよ。