より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

そしてわたしは言葉で恋をする。

写真や絵が好きな人が目で恋をするのだとしたら、音楽が好きな人はきっと耳で恋をするのだろう。食べ物が好きな人は匂いで恋をして、スポーツが好きな人は身体で恋をする。映画が好きな人はリズム感で恋をして、本が好きな人は言葉で恋をしているのかもしれない。


「めんどくさい」と自分自身が思うとき、きっと相手にも「めんどくさい」と思われてるんだろう、ということも同時に思う。
そばにいてほしいと願いながらも、傷つけたくないし傷付きたくもないから会いたくない、という相反する気持ちが色濃く漂う夜は結局、もうどうしたらいいのって困り果てた挙句泣き疲れて寝てしまったのだった。

今に限った話ではない。彼と付き合う前にだって「めんどくさい」と思われることが嫌だから、会いに行くことをいよいよ辞めようとしていたことが数える程ある。もうその思考回路に伴うすべての行為自体がめんどくさいから、結局なにをどうやってもめんどくさいのには違いない。何度も繰り返し経験しているのにも関わらず、残念ながら「めんどくさい」は回避できないみたいだ。

それでも、こんなふうに不安が渦巻くときに多少無理してでも会いに行っていたのは、少しでも不安の芽を摘んでおきたかったから。結局はわたしのエゴでしかないとしても、ふたり一緒にいて笑いあうためにしていたひとつの努力だった。
会える距離にいたって身体はひとつしかないし、いつでも会えることの確証なんてどこにもない。日常は当たり前のような顔をしているだけで、当たり前のことなんて何ひとつない。それを強く意識しているから、ひとつひとつがどこか命がけになってしまう。本当は、とてつもなくこわがってるだけだというのに。

不安でいっぱいいっぱいのわたしを目の前にして、困り顔の彼は言う。
「めんどくさい、とは思ってる。でも、大前提として恋愛はめんどくさいものだし、そのめんどくささに屈するつもりはない。」

追い打ちをかけるように数分後、わたしが説明されたことについて、どう考えても分からないから解説して、という彼の少し乱暴な態度にすっかり意気消沈としてしまった。わからなくて当然なのに、わからない、という一言でこんなにもダメージを負ってしまう。渦巻く感情からなんとか距離をとり、組み立てて説明したことを、分かってもらえるようもう一度説明するにはどうすればいいのだろう。なにがダメだったのかをせめて示してほしい。
頭真っ白になりながら振り絞った答えは「空腹な状態で平和的解決なんてありえないから、とりあえず一緒にごはん食べよう。」で、お腹いっぱいになったあとはすっかりどうでもよくなってしまった。


「めんどくさいと思われるのが嫌だから会うのを辞めようとしていたのに、やっぱりちゃんと会った方が気持ちとしては落ち着くね。笑 めんどくさいのに相手してくれてありがとう。」

いつものパターンに落ち着いてしまったのは腑に落ちないけれど、ちゃんと説明できていないのであれば、それは自分の課題でもあるからすこし時間をもらおう。時間をかけたりかけなかったりして、この謎を解き明かそう。気が付いたらひとりでにそんな気持ちに収まったので、朗らかな気持ちで彼にLINEをした。

 

「めんどくさいなんてひどいことを言っちゃってごめんね。口だけで態度で伝えられていなくて不安にさせちゃってるけど、本当に大切だと思ってる。」

画面の通知で垣間見えた彼からの返事を見て、まるで条件反射かのように泣いてしまった。既読にするタイミングがわからないくらい微かに動揺してしまう心を抱えてわたしはまた彼の言葉に恋をしてしまうんだろう。