より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

とりこぼしてはいけないもの

会いに来てって言ってくれるのを待ちきれずに、会いに行っていい?と聞いたら、大量のおでんを作ったよ、と写真付きの返事がきた。自分ひとりだったら決して考えられないような大量の具材が投下されたおでん鍋を見て、彼らしいなと思わず笑う。
ふたりして、一夜では食べきれそうにないアツアツのおでんを口いっぱいに頬張っていたら、「おでん作ったから会いに来てって言おうとしていたら先に『会いに行っていい?』って言われた」と彼がつぶやく。

今の私たちは、きれいな形じゃないかもしれないけれど、それでもお互いがちゃんとお互いを見つめようとしているのかもしれない。 

彼と付き合うことで気付いたことがある。
それは、好きな人に会うことに、理由や意味を考えてしまう癖を一刻も早くやめたほうがいいということ。
自信がないとか、人見知りするからとか、恋人の失態を目撃して失望してしまわないかとか、とりあえずでもいいから、一切余計なことを考えずに、ただ好きな人に会えることに喜びたい。
たとえ一緒にいることにたいした意味を持ちえなくても、一緒にいるということがすべてで、そこに意味があるのだと、そんなふうに居られる自分でいたいと思った。一緒にいてもいなくても、何気ない今日一日が何よりも大切だってこと、わたしは知っているはずだ。

1週間のうち、割と頻発して一緒に過ごしたあと、彼からのLINEで「〇〇がいない~~寂しい~~」ときたのが素直に嬉しかったある日。
望んでいたはずの「早く会いたい」という言葉なはずなのに、裏に何か隠されているんじゃないか?って無意識に愛情を疑ってしまうのは本当に悪い癖だから、これもやめていきたい。

幸せを自ら踏み潰してしまうのは、愛されることに慣れていない証拠だ。怖がらずに愛情をちゃんと受け止めることのできる強さを持つことを心に決めた。

愛は動詞である。 

今、会社の研修で読んでいる、かの有名なビジネス書の一小節にこんな言葉があって、驚いた。10年ぶりくらいに読んだのだけど、愛について言及していたなんて記憶がない。10年もの間なにやってたんだ自分。

他のエントリでも少し触れたことがあるけど、以前に宇多田ヒカルがプロフェッショナルで触れていた「愛とはなにか」という質問に対して言っていたことに通ずるものがあるなーと、読みながら思ったりした。

愛してると云うにはまだ恥ずかしすぎて、大好き、が精一杯のわたしたち。