より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

目を合わせていくということ

そのスカートかわいいね、と言ってくれたことが嬉しかった。
地味だけれど行きつけの古着屋さんで買ったお気に入りのスカートなんだ、と答えた。

今まで他の誰も褒めてくれなかったけれど、まさかのきみが気に留めてくれるとはわたしも思っても居なくて、わたしたちにしか知りえない感覚を共有したみたいだと、密やかに思う。器用なのか不器用なのか分からない彼が、そうやってたまにこぼす言葉が愛おしくて、わたしは嫉妬しそうになる。

「お願いだから、わたしだけに見せていてね。」

なんて言うことは、きっとこれからもない。妬いている暇もないまま、空いてしまった夜の予定を埋めるべくひとり映画館へ向かった。

今年の映画はじめは、実際に起こった事件をもとに創られた美しい愛と再生の物語。
最後の最後で思いもよらない涙が流れて驚いたのは、主人公同様に好きな人を守りたいと思うひとりにわたしもなっていたからなのだろう。
台詞が少なくて、伏線を回収しきるまでに多少の辛抱が必要だったけれど、悲痛なほどに美しくていい映画だった。

映画「シシリアン・ゴースト・ストーリー」公式サイト | ABOUT THE MOVIE |

 

再び世界と繋がった携帯に「きみがこのあいだ作ってくれた小松菜と揚げの炒めものが美味しかった」と、同じものを作った彼から写真が届いていた。
映画を観に行くと伝えていなかったので慌てて電話するも、彼が電話に出ることはなく、寝てしまったのだろうと思いながら自宅へ帰る。

昨日は彼の家へ、今夜は自分の住処へ帰ることの違和感と、わたしたちがどこまでいっても他人であるという当たり前のことを知ってますます不思議な気持ちに陥るのだった。

会社の人に頂いた2kgほどのお米を抱えて、ほんのりぬくぬくとした気持ちで帰る途中、この道の先には一体誰がいるのだろうか、とぼんやりした頭で考えた。少なくとも今は、この先にいるのは彼であってほしい。そう願っている。昨夜めずらしく最寄駅まで迎えに来てくれた彼の手の冷たさをそっと思い出す。

スタート地点はいつだって「好き」から始まるけれど、その気持ちを大切にしていくためにわたしがしていくべきことはきっと、ほんのすこしずつ目を合わせていくことなのかもしれない。おんなじ方向に歩きながら、時折、目と目を合わせていくこと。勇気をもって自分自身を渡していくこと。関心を持って彼のことを知っていくこと。許し、癒される存在であること。

傷付くのがこわくて、自信のなさを悟られたくなくて、今までずっと大切なことを話すときには彼を抱きしめ、顔を隠した状態で伝えてきたけれど、これからは顔と顔、目と目、唇と唇を付き合わせて、あるだけの熱量を渡しあっていくという覚悟。

わたしにそんなこと出来るのか不安になるけれど、それでもこんなに胸をあたためるのは、わたしに対する彼からの眼差しそのものだ。それを間違いなく受け取り続けていくことで、彼をもあたためることが出来ればどんなにいいだろう。彼を信じることは、自分自身を信じることだ。