より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

思い出されているうちは生きている

生きてもし会えていたなら、きっとどうしようもなくその人のことを好きになっただろうと思う人の言葉に気がつけば毎日触れている。なんならもう好きなんだと思う。

最後に更新されたのはもう2年前。
本格的に冬が訪れていただろうある日の朝方に更新されたページと、煌々と光るそのページを見つめる瞳の奥にはどんな色の魂が宿っていたのだろうかとひとり想像してみるけど、闇が照らされることはもう二度とない。人の気持ちを文字の軌跡だけで差し測るのは、生きている人の勝手だ。光を失った水面を深く覗き込もうとするのはとてもじゃないけど困難だ。

“性別が違っていたならもれなく恋に落ちたかもしれない”と思って初めて自分にもジェンダーバイアスがあるのだと気付く。女性に告白されたことやキスされたり体を触られたりはしたことがある。それでも今のところわたしはノンケだけれど、人を好きになるのに性別は関係ない。生まれもってたまたま女性だったというだけで、女性を好きならない保証なんてどこにもないし、好きになったって別にいいのだ。その人はもういないので確かめようがないけれど。

普段なら言わないような、生きている人のほんとうの言葉がこぼれ落ちるその景色をただ見つめる。「わかったつもり」になるのは一番危険なこと。
その人の諦めや悲しみ、そして蓄積されていった疲労の塊が、花のように一枚一枚散らしながら開いていく。その様があまりに美しくて儚くて、わたしは呆然と言葉を失う。この先、その絶望感をわかってもらわなくてもいいとすら思える。わたしはその美しさに触れ続けたくて、これからもその人のホームページを訪ね続けてゆく。