より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

伝えるべきことなどほんとうはないのかもしれない

獣になれない私たち6話を見逃し配信で見た金曜日。
くれはが言ってた言葉が分かりすぎて苦しかった。

自分次第で何でも手に入ると思ってたけど、
この先どんなに願っても手に入らないものが出来た。 


公正に話せなかったんだよね。

でも、わたしにとっては大したことだったの。

何も起こらなければ今も続いたかもしれない。
でも、思っちゃったんだよね。
わたしにとって大したこと、大事なことを話せないのって
どんなに体重ねても話せないのって…なんか、さみしいじゃん。

わたしの抱えるさみしさを、話せばきっと彼は聞いてくれるだろうとは思う。でも、それは寄り添うこととはほんのすこし違う。どう違うのかって明確には言い表せれないけど、愛のしるしの歌詞に出てくるような「いつかあなたにはすべて打ち明けよう」という気持ちにはまだなれない。もしかしたら育むものなのだとしても、近い将来、彼に対してそう純粋に思えるのだろうかは神のみぞ知る状態だ。人と人との関わりに確証なんてどこにもないって分かってる。
言うならば、経験がものをいう世界だ。今までどんな人と付き合ってきたのか。どうやって人と向き合ってきたのか。わたしたちは目に見えない形で質問し合って、答え合わせをしている。その一方で、それを押し付けてしまうのは一種の暴力だとも思う。そんなことがしたい訳では無いからこそパラドックスが生じる。

ふたりでいるときに感じる言語化できない部分をどう埋めればいいのか分からなくて、分からないことは仕方ないからと、今に集中する。いかなる状況も大概は楽しんでしまう性格が功を奏して、一緒にいるときはいつだって爆発的に楽しい。最近じゃ、“あの人”の面影がすっかり薄れてきてしまうくらいだ。でも、その分、大切な何かを置き去りにしているような気にもなる。
それとは別に言えば、彼の彼らしさを、わたしはきっと活かしてあげられない。それは彼にとってもそう。きっと手に負えないと思うときがくる。そうやっていつも、最悪の状況を想定してしまうのは悪いクセだ。でもやめられない。
これらのことでのたまわるように悩んで、土曜日は一日中引きこもってしまった。金曜日に飲んだたった1杯のとてつもなく濃いお酒が尾を引いて、発熱した身体を持て余した結果、とてもさみしくてたまらない夜だった。ふと、こんなわたしの話なんて、誰も聞きたいと思わないんだろうという想いがよぎる。友達に会っても、「わたしの話、つまんないんだろうな」って思ってしまうし、興味ない顔をみてしまったらわたしはもう話せなくなってしまう。全てを打ち明けてきた唯一の親友でさえもこの頃忙しくて返事が返ってこない。大丈夫?と聞かれたときに「大丈夫じゃない」「助けて」と言えるようになるための勇気を持つにはどうしたらいいのかがわからない夜はつらい。仕方がないから、この世を去ってから気がつけば2年経つ雨宮まみさんのブログを久しぶりに読み漁って悲しみに溶け込むようにしてやっとの思いで眠りについた。不謹慎だと分かってる。でも、わたしはまみさんが羨ましくて仕方ないときがある。

過去は現在の積み重ねでしかなく、そのときそのときに置いてきた愛のようなものを、あとから振り返ってかき集めたときに「あれは愛だったんだね」とわかるのであれば、現在進行形でできることは、その場ですぐに伝わらなくても、愛を出し惜しみしないでそれを置き去りにし続けることかもしれない。