より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

役に立つかどうかなんてさ あとから誰かが言う事だろ

思い立ってはてなブログを開設してみた。

思えば最近、どうにも吐き出しどころを探してばかりいる。その証拠に尋常じゃないスピードで増えていくiPhone内のメモ。点ばかりが連なって一向に線にも面にもならない様子は、宛先不明の手紙が積み重なっていくみたいでもどかしい。わたしの気持ちの行く末は、どこ?

はてなブログを開設しようなんて思ったこと今までさらさらなかったけれど、たまたま見かけたはてブがなんだか気の抜けたジンジャーエールみたいで、それがとても今のわたしにしっくりくるようだった。弾ける炭酸は瑞々しくて華やかだけれど、強すぎる刺激で思う存分に喉を潤すことはできないから、わたしにはすこしくらい気の抜けてしまった炭酸のほうがずっと美味しくてありがたい。

なるべくずっと一緒にいようよ - ひとつ恋でもしてみようか


かつてやっていたJUGEMとはまた違う、周りの目を気にせずにどうでもいい日常を綴る場所が欲しかったのかもしれない。それも結局は後付けの理由にすぎないし、はてブが最適な場所なのかどうかはまだわからないけれど、少なくとも今流行りの(?)noteはあまりにきらきらしていてまぶしい。
“自分のフィルターを通じて世の中に何かを伝えたい”みたいな、大義のない自分が間違っているように時折思うのは、「何になりたいの?」って聞かれて上手く答えられずにしょんぼりしてしまう気持ちによく似ている。烙印を推されているような気分に陥ってしまうから、今じゃ購読しているものやツイッターで流れてくるものしか読まない。いつか書いた記事を整理して上手に使いこなしたいとは思っているのだけれど、そもそもそれが必要なことなのかどうかが分からない。はてブだって必要とは言い切れないけれど。

ツイッターやインスタグラムでさえ「連投すみません」と気を使わないとまるで「気を使えない人」とされてしまう、肩身の狭いインターネットの世界。いつからこんなんだったっけ?はじめからそうだったと言えばそうなんだけれども。

盗みや殺しやサギなんかしてないよ
遊んで食べて寝てるだけだよ
なんで悪いの?

コジコジが言ってたその言葉を拠りどころにしている私にだって、気を使う気持ちを持ち合わせている。
誰だって誰かに嫌われたいなんて思わないものでしょう。全員に好かれるのは無理でも、初めから嫌われたいなんて少なくともわたしは思っていない。「いい人だ」とは思われなくとも「悪い人ではない」でいいから安心安全と思われたい。
「言いたい事を言う。(もちろん悪意のない方向、範囲で)でも嫌われたくない。」
気持ちっていつも表裏一体で常に綱引きしているものだと思うし、表面上で見せていることと内心は必ず一致しているとは限らない。図れないもの自体を察するなんて高度なことはしなくていいけど決めつける必要も特にないはずだ。
なんて、一通り弁解?してみたけど、弁解してどうすんだ。笑

ただ、毎日思ったことを綴れられればいい。
取るに足らないことを、何度も推敲しながら整理していきたい。今はそれでいい。


今日から11月。
冷たい風のなか、秋の日差しは柔らかく暖かい。ふいに童話の北風と太陽を思い出した。通勤路の銀杏並木がすこし黄色く色づき始めていて、なんだか誇らしい朝だった。

誕生日へのカウントダウンはもうとっくに始まっている。
今までどう逃げようか考えていた誕生日も今年は淡々と過ごせそうだ。なぜあんなに強迫観念に苛まれていたのかわからないけれど、なんの期待もせずに、なんの卑下もせずに。そのままでいられるって、一番理想とするものかもしれない。
なんなら、好きな人たちと同じ時代に生まれ、同じときを過ごしながら歳を重ねられるなんて最高じゃないか、とすら思っている。そう思うまでに実に10年もかかったけれど、今はその時間がとてつもなく愛おしい。

10月末は父の誕生日だった。おめでとうを伝える電話口であらためて年齢を尋ねると、恥ずかしそうに父は71歳になったと言った。それから、「心は永遠の46歳やで」とおちゃらける父に「なんとも絶妙なチョイスやな」と笑う娘のわたし。父のその絶妙な塩加減で語るセンスがたまらなく好きだと素直に思った。

彼の人生の中で一番生き生きしていた年頃が「46歳」なのだろうか。
もしかしたら、わたしが娘として彼のもとに生まれたって、仕事も一番うまくいっていた時期かもしれない。色々な可能性が浮上してきて、父の“父でない側面”を想像してみる。相変わらず「もういっぺんあてたい」精神には「もういい加減にして」と、「そういう人やし仕方ないな」という呆れと諦めの狭間で行ったり来たりしてしまうけれど、そこも含めてこの人は紛れもなくわたしの父である。

あとから父の年齢を振り返っていたとき、「わたしももうすぐ29歳だから、そしたらふたりあわせて100歳ってことになるなあ」と思いついて、”あぁ、もうずいぶん遠くまで来てしまったんだな”ってことに、ふいに寂しさがこみあげて少し泣いてしまった。

頭ではわかっていながらも、今だ何にもしてあげられないわたしはなんて親不孝娘なのだろう。息をひそめるように生きることで迷惑をかけないようにする他ない。父を失ってしまったらわたしは母とどう仲直りをしたらいいのかますます分からなくなるだろうし、母までもが居なくなってしまったらそれこそ本当に天涯孤独、この星ではみなしごになる。とは言っても、今のこの距離を保つ以外に自分を守る術を見つけられない。

樹木希林さんが2か月前に75歳で亡くなったのを考えると、父とお別れする日はきっとそう遠くない未来なのだろう。台湾のおじいちゃんが亡くなったは71歳くらいだった。
あんなに煙草スパスパ吸ってわかりやすく部屋の壁をヤニで汚して過ごす父を見て、よく健康でいられるな、と不思議に思う。体を悪くしていたとしても父はわたしに何も言わないかもしれない。

今のわたしは何もしてあげられないから、二人にはどうか出来るだけ元気で、生きていて欲しい。生きてくれている、その事実だけでいい。そう今まで思っていたけれど、父との電話のあとで一人、いつか向かえるその日を、わたしは“乗り切るために”人生ではじめて「家族」が欲しいと思った。5年以内に「家族」をつくろう。動機が不純しているかもしれないけど、そう思うからこそ、自立するために仕事とか人生がんばらなきゃ。

生きて会えるうちはたくさん会った方が良いと分かっていながらも、どうしても平常心のままでは会えそうになくて、やっぱり今のわたしには何にもしてあげれないから今年も生まれ育った故郷には帰れそうにない。ごめんね。